せつなくて

ありがとうといわれるとせつなくて
というFlavor Of Lifeの歌詞。作詞者の宇多田ヒカルは、ありがとうといわれるためにしたわけではないのに ということでせつないという言葉になったとか。ありがとうという言葉は日本語の中でもすきな言葉。はじめ、宇多田ヒカルの話を聞いても繊細な感覚だなあ、としか思っていなかった。しかし、ありがとうと言われると、普通は、どういたしましてと返事をするのがあたりまえだろう、理解できないみたいなことを書いているブログがあり、少し考えてみた。恋人未満友達以上の中間地点だから、恋人のようにしてもらえないせつなさなのか。ありがとうの言葉を、他人行儀のように受け止めてしまうのだろう。恋人の場合には、ありがとうではなく、どういえばいいのか。あたりまえなのだから何も言わない?それとも、感謝の気持ちを態度・・・例えば笑顔で返すとか?ハグするとか?
ありがとうという言葉一つとってみても宇多田ヒカルの人間関係論(対人関係)が浮かび上がる。5年前の3rdアルバムでは、言葉に全部は託せ無くても声に出せば少しは必ず伝わるはず(嘘みたいなI Love You)という宇多田ヒカルの『ことば』に対するスタンスがある。本当に彼女は、人間関係における『ことば』を知っている人だと思う。だから、単なる感謝のありがとうという言葉にも敏感に反応するのだろう。タメ口で有名な彼女だが、だからこそ他人行儀の言葉が言えないのかも知れない。大事な人には。