LGBT(Tを一緒にするのは本来間違いと考える)

差別とかハラスメントとか結構話題になるが定義は?
個々が差別やハラスメントを受けたと言えば成り立つみたいで
明確な線引きが出来ないように思う
レスリング界でもパワハラ容疑があったり、千葉市でお父さんお母さんではなく保護者括りにするなど、また相撲の土俵に女性が救命処置に上がった後大量の塩がまかれたり、女性市長が土俵外での挨拶を要請されるのに男性市長は土俵に上がって挨拶出来たり
一つこのような問題が生じると必ず言われるのが「当人が不快に思っているのだから」という言葉
さて、その当人とは
上下強弱の場合は下と弱
LGBとその他の場合はLGB
男女の場合は女
同権や平等もこのような問題の時叫ばれることが多い

個人的見解は
権利が損なわれたり不条理である場合、差別であると思う
その人が努力しても無理なもの、性別、人種、身体的機能形態等
能力差、努力すれば叶えられるものには同等にする必要はない
例えば、男女年齢能力に差がなければそこに差をつけることは差別
市長の扱いに男女の差別は無用
女性市長を土俵に上げられないならすべての市長を上げなければよい
行司や力士以外に賜杯を授ける者以外の民間人は土俵上に上げられないと規定すればよい
賜杯を授ける役割の者ということで男女を超越して考えればよい
LGBは個人的性的嗜好ととらえれば法的に守る対象ではない
だが、その嗜好に差別意識で対応すれば差別となる
公的機関や社会、就職で差別することは出来ない
擁護も差別もする必要はない
婚姻は誰もが強制されるものではないが、伴侶と認めない社会制度を不条理と思えば差別だといえる
お父さん、お母さん、夫、妻と呼ぶのを差別とは思わない
性による区分があるだけであり、むしろこれを差別用語とする方が問題である
LGBに配慮することでその他を差別していることに気付いていない
従来親以外にも保護者になれるのだから殊更LGBに配慮する必要はない
誰もが弱者の立場であり、強く主張する者に迎合するのは新たな差別を生じる
多数より少数を過剰に擁護すると必ず歪みが生じる
多数決が正しいとは限らないが少数優先も正しいとは言い難い


誰もが公平公正に扱われるのがよい
同権、平等より、公平、公正を希望する