萩尾望都さん

バルバラ異界」の4巻が出たとき、まとめてそれを読もうとして書店に買いに行った。ところが、3巻しかなくて、他の書店へ行くが、そこにもなくて、何故か「残酷な神が支配する」という文庫本10巻だけがあった。無性に望都さんが読みたかったので換わりに購入。雑誌掲載中は横目で題名を見ていただけだったが、いつか読もうという気はあったので、まあいいか、という感じ。
この2つの作品は、比較すると面白い。まるで螺旋階段のような進展で、同じようで少し違う場面と心理描写が延々と続く「残酷」。PTSDを描くとすれば、この方法しかないのかもしれない。安易な結論を出すよりは、作者、主人公、読者の各々が同じ時間を共有する必要があったと思われる。だから10年もの時間が作者には必要だったし、螺旋階段の展開も必然なことだった。しかし、読むのには心構えを要する。
それに反して、「異界」の特に4巻の展開は何?
1カットのシーンに本来ならば10枚以上費やしてもいいと思われる箇所が随所にある。この点では、この本も読むのに心構えが必要。数行のネームと1シーンのみの描写に時間の流れ、場所がワープしたりしている。ここは、説明ではなく、エピソードとして100Pを費やして描いて欲しいよ、とつい思ってしまう。
望都さんは、初めから最期まで構築した上で描く人である。どちらかといえば、中・短編作家である。「残酷」を除けば、大概長くても「異界」の4巻しかない。「ポーの一族」も3巻。「銀の三角」は中篇だが1巻。「スターレッド」「百億千億」も2巻に収まっている。もともと冗長に描く作家ではない。だから、「異界」の3巻を読み終えた時、あと1巻でどうまとめるのか、不安と期待があった。登場人物の多さと時空のひろがりが半端ではない。長編小説を2時間の映画にするのに似ている。絵で見せるのではなく、ナレーションですます方法である。作者の中では、枝葉末節として位置づけられた「異界」の中のアフリカのエピソード。ストリーとテンポを考えるとそうせざるをえないのはわかるが。
「残酷」の主人公達への重厚な心理描写に対して「異界」の主人公達へはあまり心理面には重きを置いていない。
心の旅と時空の旅の差かもしれない。
「メッシュ」あたりから絵柄が変化して来た。初期の作品群の「ポー」「トーマの心臓」「11人いる」とは別人が描いたかのような主人公の顔。主人公が少年から10代後半へ対象年齢が変移したことにもよるが、よりリアルさを求めたことも関係しているかもしれない。でも、「ポー」や「11人いる」の時期の可愛い丸顔が好き。
傑作が多い中で、私が大好きな作品は、「モトちゃん」。短編作家だからこそ描けた4コマ。モトちゃん、ジョニーウォーカー君、レミちゃん。萩尾望都さんはすごいと認識した作品。コマの無駄の無さに感動する。そして、ホンワカ気分になる。