宇多田ヒカルの悲劇

藤圭子の転落死によって様々な憶測がとびかってヒカルがコメントをニ度も出した。
その文にさえも誹謗中傷が。本当に辛いと思う。精神病というと、S、BL、MDが思い浮かぶが、専門医でさえ診断が難しい場合もある。素人が推測で語るものではなかろう。葬式がない、ということも口出し無用であろう。ヒカルにとって一番大切な人が亡くなったのだから今は静かに見守ってあげたい。
ヒカルの月一ラジオをいつも楽しく聴いていた。音楽が本当に好きなのがよくわかる。その彼女が母藤圭子を歌手として尊敬していたのも、メッセなどから伝わる。二度のコメントを読んで、ヒカルの文才云々よりも、その底に深い悲しみと歌手ではなく母を慕う娘の姿が見え隠れする。圭子の晩年を知る者は少ない。買い物姿を見た人がいてもそれだけが彼女の真の姿ではない。TVの姿でも同様に。宇多田家の実情などわかるはずがない。ヒカルが作詞したのをすべて関係づけるのも疑問。マスコミの異常さに呆れてしまった。何十年も音信不通の親族の発言にも。
十月にはラジオ復帰という。ヒカルの好きな音楽に囲まれての一時間を楽しみたい。