チベット

チベット
1951年中国共産党チベットと17か条協定を結び、チベット支配下におく。
自治区となるが、現在に至るまでに多くの犠牲者を出している。1959年ダライラマ14世インドへ(亡命政府)
もともとが武力制圧なのだから、独立、自由を求める民衆が反乱を起こすのは当然である。
共産党が仏教国を治めること自体無茶苦茶である。中国軍(国民党)が当初攻略した際には、信教の自由はあった。だが、共産党の支配になって分離主義が推し進められた。
1950から1976年間に120万人(処刑、餓死、拷問、戦死等)
1980年に自治の改革開放(胡耀邦)で僧院の再建、チベット語教育、信教の自由保証(1982)がなされるが、その一方で弾圧続行され115人活動家が逮捕されている。
1987年に胡耀邦が更迭されてからは、武装警察による無差別発砲、虐殺が後を絶たない。
1988年3月5日大祈祷法会最終日僧侶の一人が「チベットに自由を!チベットに独立を!中国の抑圧を倒せ!ダライラマ万歳!」と叫ぶ。多数の僧侶が連行される。
そして、民衆が暴動へ、翌日2500人逮捕拷問が行われる。その後もデモ行進は続く。
1989年3月5日ラサで数百人デモ行進。チベット国旗掲揚し、独立主張。武装警察発砲。
翌6日デモに数千人、中国銀行、警察署等襲撃。その夜チベット人の各家庭を警察が襲撃、子供老人含め住人銃殺。
翌7日戒厳令布告(〜1990年5月1日)
400人虐殺、数千人負傷、3000人逮捕。
1989年4月15日胡耀邦死亡。翌16日北京で追悼集会。党の腐敗、民主化を訴える。
5月4日北京学生市民10万人デモ。第2次天安門事件
5月19日北京戒厳令 5月23日100万人デモ。
6月3〜4日中国軍発砲開始。デモ隊鎮圧。
1989年10月ダライラマノーベル平和賞受賞。
彼は独立に代わり、真の自治を求める。
1990年代も逮捕者が後を絶たないし、パンチェンラマ11世として認められたゲンドゥン少年は、中国政府によって拉致され行方不明のままである。
中国は、チベットに核廃棄物処理場、核ミサイル基地を設けている。処理場も安全を考慮したものではない。今もチベット人の健康を蝕んでいる。
チベットはWW2の時、中国への武器輸送を許さなかった国である。日本はもっとチベットに関心を持つべき。
2011年12月成都市鉄道工程学校チベット人生徒200人の寮に3000人の漢民族学生が集団襲撃。
2011年から僧侶、市民の焼身自殺が続いている。
中国が他民族に対して非道な拷問や虐殺を繰り返しているのは歴史上だけではなく現在もそうであることを知って欲しい。