和田アキコの発言と韓国の善悪二元論

自身のラジオ番組での発言から「恨」「他者への責任転嫁」「自省欠如」「客観性皆無」を見た。
テレビで韓国の話が始まると消していた。韓国の情報は韓国マスコミを直に訳すブログを読む方が確実。勿論、一か所での判断は間違うことになるからいろいろな立場のブログを読む。ネットには韓国に関するものが多くある。その中の一つ「韓国の反応」のみずき氏のブログにあった「韓国の善悪二元論」は面白い。
ろうそくデモがいまや風物詩になっている韓国。悪の象徴の「朴大統領」善の象徴の「韓国市民」。韓国用によって歪められた儒教の「善悪」。「善悪」=「上下」。しかも、善悪を規定するものが単なる感情。決して資料等の裏付けがあってのものではなく、優勢な立場に自己を置きたい為の物でしかない。正しいのか間違いなのかではなく、自分が正義なのである。
歴史的に見てこの光景は過去にも同様にある。独立後韓国を善とし、日本帝国軍、日本を悪と定義した反日国家政策。国民全体の合意として慰安婦像設置に関わる諸々の反応はまさに「善悪二元論」そのもの。善の韓国が何故悪の日本に翻弄されるのか全く許しがたいということ。韓国人個々に関しての「善悪二元論」として考えると、自分が「善」となり、自分を阻害するものすべて「悪」と捉える。決して初めからどうなのかなど問題ではない。時流によって優劣が異なる場合は一早く優勢の組に鞍替えする。裏切りとは見做さず、賢い選択と称賛される。仮に劣勢に陥れば、その責任は他者のせいと罵り、優勢組に何とか潜り込もうとする。常に優位の立場に置き、他者を劣位の立場にする。韓国人が順位に殊の外興味を持つのはこの上下関係が日常だからである。絶対服従を強いられる場合はその下位に属する同輩よりも少しでも上に行く為に媚びを売り、ご主人様の従順な奴隷になる。白丁の中でも順位をつける。
和田アキコの発言を顧ると、彼女の中では「紅白出場回数が女性歌手の中では一番多い」「紅白出場歌手としての世間体価値」これらによって自己評価を高くしていたと思われる。紅白に価値を見出さない多くの視聴者には和田の拘りを理解出来ないだろうが、和田にとっては紅白に出ることが芸能人の中での自分を位置付ける最大かつ最高の勲章であり、黄門さまの印籠のようなものだったのである。
バーターでもよいから事務所が自分を紅白に出られるようにすべき、NHKは紅白への貢献度を、出場回数最多の名誉を考慮すべき、と和田アキコは他者へ恨み言を言うのである。声が出ない、リズムがとれない、歌手として致命的な現状を問題視せず努力もせず「私は何故紅白に出られないのか」と涙を流す。
今まで「善」だったのに「悪」と位置付けられて、他者攻撃している。
大人げない言動と受け取られ、悪足掻きと批判されようが、和田アキコ自身は至極当然の言動と思っているだろう。
朴大統領の親族が家を焼かれ撲殺されたようである。韓国メディアはろうそくデモによる負傷者0と報道している。日本のテレビがどのように報道したかは知らない。